2017.11.12

ひさしぶりに5時間以上勉強できた。疲労感も達成感もない、いい調子だ(と思おう)。勉強したくないというきもちが芽生えつつあるのは、興味がないからだとおもう。契約とか債務とか損害賠償とか。ほとんどフィクションだからだなー。でもがんばろう、まだ見ぬ誰かのために。誓いは消えかけてはないか、深い愛を抱けているか!

勉強を一段落させてロロの感想をツイッターに書こうとする、が、とてもじゃないけど140字にまとまらない。かと言って連投するほどの大した感想でもないので、そういうことこそここに書いてみましょう。どうしたって自分にとってロロは友だちなので、桃子の天使感の失われてなさとか、初演時はハナのスタイリング(ゆうやさんのポロシャツ、多賀の赤メガネ、あやのさんのカラフルワンピなど)だったこととか、初演に出てたあの子は今どうしてるんだろう(就職して結婚したという噂だけど)とか、曽我部ファンの多いロロに曽我部が書き下ろした曲を舞台上で亀さんが役として演奏するという夢の叶い方やばいなとか、そんなことばかり考えた。そのせいか、自分の変化に対して想いを馳せることはあんまりなかった。だから入り込めなかったのかもしれないと今日になって思う。ウィーアーザワールドのシーンは当時のわたしたちに相当ホットだったと記憶してるが、わたしとハナの間でだけだったかな?どうだったかな? 初演時のシンディーローパーをあえて再現しにいってる悪ノリなんて学生時代そのもので、その心意気の変わらなさに愛おしさがこみ上げた。というか、ウィーアーザワールドのイントロを聴いたときから「どうか桃子があのカツラのシンディーローパーであれ!」と願った数秒後に願いが叶ってただ嬉しかっただけなのかもな。あのシーンは作品の主眼ではないけど、ロロという大きな視点でいうとあの悪ノリを失ってないことこそロロの真骨頂のように思える。過去を愛するからこそ過去を美化して過去にとらわれ続ける(青春ゾンビ)。←過去の部分を「現在」にしても「未来」にしてもすべて平等に同義で成立するのが三浦イズム。つまり過去も未来も現在もまんべんなく大切にするっていう台詞そのまま。ありもしないことを想像してもしきれないけど、劇団としてのロロと出会っていたらわたしは一体どんな感想を持つのだろうと一生思い続けるのだ。

 

赤信号レベルの金欠のなか、パスモチャージオアシスを叩いて木村草太「憲法という希望」を買ったことをすっかり忘れて二日間かばんのなかで寝かせてた。読みはじめる。本のことはさておき、やはり入浴読書サイコー。読めば読むほど汗だくだく。もうお風呂でしか本読めない、ほんと。さて、本のこと。一応ネット受講で憲法基礎ひととおり終えた甲斐もあって?非常にわかりやすく簡素な文章ということもあり、内容を先読みできるところもあった。しかし知識が血肉になっていないことを不意打ちで思い知らされる。この条文の意味はこうだよなぁ、こんな解釈があったよなぁ、これとの関連事項はあれだよなぁ、みたいな表面的でしかも基礎中の基礎、自慢できるレベルでは全くない知識しか出てこない。ジャーナリストや新聞記者、政治に熱心な人には当然備わってる知識のレベルにやっとのことで達しているだけだと痛感。半年以上コツコツやって積み重ねてきてる時間、勉強ってなんだろう。これをトホホと名付けずに何と呼ぶ。満足するな謙虚であれ身の程を知れですね。はあ。それなりに熱心に取り組んだ憲法でさえこの有り様だから、いま嫌々やってる民法を終えたところでの到達レベルはたかが知れてる。大トホホ。ともあれ合言葉はいつだって、誓いは消えかけてはないか、深い愛を抱けているか!(オザケンがいなかったらどうなっちゃってたのだろうわたし)

勉強してることを血肉に落とし込むには一体どうしたらいいんだろう。それこそ実務に就いてからってやつなんだろうけど、試験をクリアするためには少しでも落とし込めるとラクなのになぁ。勉強の段階では落とし込めない性質こそ司法試験を難関とする所以なのかもなぁ。勉強で得た知識を様々な本から得られる体感で溶かして飲み込むようなイメージでいればいいのかな。よりよい勉強法がいまだわからぬ。時間を貪っているだけなのではないかという不安がときどき猛烈に押し寄せる。対抗策はないものか。そんなあれこれを相談できる(相談したい)人のいない孤独〜〜。大金払ってんだからもっと伊藤塾を活用すればいいのかな。図々しくいくべきなんだよなきっと。能動が足りない。じぶんのあらゆる足りなさを知って知って知り尽くしてこそ真の知識を得られるのかもしれませんね…がんばってください…トホホのあまりいよいよ自分が二人称になっていく…。がーんばろ。