2020/04/27

午前中 ずっと滞納してたクレジットの支払いに駅前のATMへ行く。2件ハシゴ。

駅前は不思議な雰囲気で、こぢんまりとした飲食店がいつの間にか現れては消え、消えては現れる。

いまの家に住んでもう7年くらい経つけれど、近所について知ってることがあまりにも少なく馴染みが薄い。

南口にあるマンションの2階の窓にけっこうな数のバイオリンが吊るされている様子が見える。民家なのか何らかのお店なのかまったくわからない。近々また見に行ってみよう。つぎはもうちょっと近くまで寄って見てみよう。

1000円カット店を覗くと先客が2〜3名程度。もう二週間前からずっと髪を切りたくて仕方なかったのにいざそれが叶う瞬間になった途端に気が乗らない。髪に限らず、映画、本、何に対してもよくあることだ。

あれこれ自分のなかで断念する理由をつけて撤退。西友で不要不急ではない買い物をして帰宅。

2〜3日に一度自宅の半径300mをうろつく程度だけど出かけるたびに発見があり、そしてすぐ忘れる。

 

結局また何もする気になれず何もしないまま(せめてもの気持ちでけみおの本を瞬息で読む。とびらタイトル「ウチら棺桶まで永遠のランウェイ」と幼少期の写真、泣く。まぶしい写真とポジティブパンチラインの数々、泣く。目次の章タイトル、泣く。)夜。

すてきなチームのグループ通話に初参加。

皆さん聡明。どう立ち回るか、意義のある話を、とか余計なことばかり考えてしまう自分がダサい。自分の人間性の脆弱さを確認。へこむ。当たり前のようにすてきな人たちと触れて生きていかなければと思い出す。

毎日なんにもしてないくせに「わたしは勉強をするのだからそれ以外の時間がない」という激ダサマインドが根付いてしまってて究極的にダサい。キャパが小さい人間だということをこれからもしっかり自覚しなければならない。もうずっと空想だけで生きているようなものだ。ダサい。

頭が良いことへの憧れと執着とコンプレックス。

足るを知りながら向上して生きていきたい。

他者との接触は間違いなく刺激になる。だから、自己研鑚を望むなら必ず人との対話を続けなければならない。

 

明日は午前中にzoomモーニングの約束をしている。その前にシャワーして軽く化粧してコーヒーとパンを用意する。モーニング後はケトルとスピーカーを受け取りに吉祥寺ヨドバシに行こう。暮らしをひとつひとつ自分で作り出す能力が圧倒的に足りない。

目を潰したくなるほど自分の弱点に直面させられる毎日。

 

緊急事態宣言(保育園休園)からの20日間は浪費していると評せざるを得ない時間を過ごしている。さいあくだ。

さいあくといえば、きょう読んだフワちゃん連載の「あたしチコリータなのに!サイアクゥ!」が最高だった。フワちゃんといい、けみおといい、まじで光。世の中にはきっとわたしがまだ知らない光で溢れている、そう思うと絶望ごっこをしている場合じゃない。

前にも何かのタイミングで思ったけど、年を重ねるにつれて感銘を受けることが減っていく。そういうものに出会ってないわけではなくてこれまでの自分の価値観ひっくり返るほど感銘を受けられる余白と体力が減ってきているのだと思う。やっぱり人間の容量は決まってるから不要なデータはゴミ箱に捨てるとかして日常的にストレージ整理して空き容量を確保しておかなければソフトウェアアップデートアナウンスの「再通知する」を選び続けながら結局古いバージョンのまま生きていくうちに朽ちて死ぬ。

 

容量とかアップデートとかバージョンとか、パソコン用語の概念で例えるとめちゃくちゃしっくりすることがほんとうに多い。人間とパソコンの共通点の多さについてとっくにみんな気づいてるのかな。気づくの遅いのわたしだけ? 

明日からもできるだけ日記を書こう。