2018.05.16

49日目。何日ぶり?

5月1週目に赤ん坊が生まれ、その前後を書き溜めたものを保存してる。が、掘り起こす気になれない。しばらく日記欲が皆無になった。無理してでも書くのが未来の自分のためと分かっちゃいるが気が向かねぇ。とことん気が向かなかったので、その気の向かなさを尊重していた。見方によれば、日記を書かなくても大丈夫な精神状態だったといえるのかもしれない。

3日ほど前に帰国日を確定させた。今朝なんとなく帰国日を知らせたくなってマツダと水谷さんにライン。審判的存在のふたり。なにげない行為こそ真意だなぁと改めて確認。帰ってから会いたい人たちであり、ぼんやりしたアメリカ生活をしている自分に喝を入れてくれる見事な存在。マツダには外に出かけなければという気持ちを思い出させてもらい、水谷さんには映画館体験のススメをいただいて、まんまと意欲が湧く。つくづく一人じゃ意欲を保てない自分を思い知る。催眠術にかかってるときは催眠術にかかってないと錯覚するのとおなじで、良くない(理想としてない)状態にあるときに良くない状態であることに気がつけない。これはおそらく一生直らないので、周囲の審判たちに自らコンタクトを取り続けることで克服するしかないのだろう。

近所のRegalHudsonCinemasのサイトを見るとなんとレディプレイヤー1がやっていた!水谷さんの思し召しスゲー。全編英語でも大丈夫なように色々送ってくれて、水谷さんは時々聖母のようだ。きょうは前にKちゃんと行ったカフェでレモネードに挑戦したい気持ちがやっと立体的になったので夕方までに勉強を済ませて、カフェへ行く(片道約45分!)つもりだったところ、映画館偵察という新たな項目&Rちゃん来宅のダブルハプニング(良い意味)で予定変更。姉とRちゃん談義に小一時間ほど参加した後に映画館へ偵察に。徒歩で25分程度、意外とキレイだったし意外と閑散としていた。映画館を遠くに見ながらテクテク歩いていたら、その景色が蘇我アリオの映画館へ行く道中を思い出させた。蘇我愛?

それはそうと、直太朗が結婚した。ヤフーニュースで見てすぐお相手の方を検索しているときの自分の顔面は誰にも見られたくないものだと思った。このきもちわるい表現しか浮かばないけれど、わたしは直太朗を卒業している。この言葉がとてもしっくりくる。直太朗に夢中だった10代のあの時期なしに今の自分はマジで無い。直太朗自身には1ミリも影響していないのにこの感じ。我ながらめちゃ気持ち悪いが、人生のなかで最も重要な人物のうちの一人であることは間違いない。なんてことを直太朗の結婚という芸能ニュースを機に再認識した。

どんな意味においても、アメリカにいようと日本にいようとすべて同じなんだと毎日思う。