2018.04.20

17日目。義兄(姉旦那)が前日のわたしの靴洗いに触発されたのか、靴を洗い始める。夕方にも草むしりが始まって、家族の休日みたいだった。なにもかもが異文化体験。

18日目。クリーブランドのウェストサイドマーケットへ。寒い。果物がぴかぴかしていた。パンや肉やケーキやパスタ、アメリカのマーケットということで正直まったく期待してなかったけど(笑)想像以上に美味しそうで、美味しかった。ベーコンチーズのクレープ食べたかったけど待ち時間長すぎて断念。昼過ぎになるとヨウタがぐぢゃぐぢゃになり、道路で立ち止まったり泣きわめいたりしていた。ヨウタはあまのじゃくで、というか、口数は多いものの言葉の意味や理屈の概念みたいなものが彼にはまだないみたいで、言ってる言葉とその真意がちがうのがおもしろい。だなんて呑気に思えるわたしは非常に都合の良いポジションだ。夜、マーケットで買ったほうれん草の平打ちパスタをわくわくで待っていたら緊急トルネード警報が。シェルター避難命令。わたしも姉も日本でいう大雨警報ようなかんじだろうと特に気にしてなかったら、社長から直々にシェルター避難指示の連絡がきて動揺している義兄。テレビをつけたりネットで調べたりしてみるけどよく分からなくて、なんだかんだしていたらトルネードは去っていた。リアルオズの魔法使いならず。こういう時に異国の地での常識がわからないと不安だなと思った。

19日目。ヨウタが朝からぐぢゃぐぢゃで、なんと中耳炎。昼にホットケーキを焼いてみたものの一回目黒こげ、二回目ちょいこげ、三回目まあまあ。夜にカレーうどんをつくったらなかなか美味しかった。なかなか美味しかった。やっぱり料理が暮らしを愛するポイントなのかもしれない。毎日を愛して生きていくために美味しいご飯を食べるのかもしれない。昨日と今日を同じにしないためにご飯があるのかもしれない。

20日目。雪。え?刑法をやっと受講し始める。聞きながらうだうだしてたらだんだん怠くなってきて、寒気頭痛発熱。夜ご飯食べて即寝。ではなくガキ使など動画いろいろ見たけど忘れた。

21日目。回復。3〜6コマ完遂。ヨウタは体調回復したのにずっとぐぢゃぐぢゃしている。もうすぐ産まれるのか!?とわくわくするものの、産まれない。

22日目。6時前にふと目が覚める。不毛な議論の続きを聞きながら二度寝。不思議な夢をみて、お昼過ぎまで覚えてたような気がするけど今はまったく1ミリも覚えてない。いつもより1時間遅くヨウタの泣きわめく声で起床。午前中にスーパー的なところへ買い物に行って、昼ごはんを食べて、近所のKちゃん(姉友人)家へ。アメリに来て初めて人の家に行く。アメリカの家は広くて子供のためのスペースや庭があって子育て環境めちゃくちゃ良いのでは。あとからRちゃん(姉友人)も来て、プチ日本人奥さま会。わたしには非日常の社会科見学。日本の付き合いの長い友人も良いけど、これまで何の接点もなかったのにある時から同じ環境で新しい人に出会うって良いなと思ってる。日本に帰ったら今までとはちがうコミュニティに参加したい欲が沸々と。まずは仕事と習い事。

来週のESLで姉のベビーシャワーを行われるとのこと。日本人のきもちとしては「お気遣いなく…!」といったところではあるが、講師の女性やスペイン人に押されてしまったらしい。海外ならではの出来事でイイネと思った。今週はヨウタの中耳炎とじぶんの不調で二日とも行けず。次週聞かれるであろう質問を想定して答えの英文を調べていくのは不誠実だろうか。相手の言葉を聞かずに答えを渡そうとすることは、コミュニケーションと言えないのだろうか。言葉はわからなくても意味合いやニュアンスがわかる。言葉がわからないからこそ言葉以上に表情や仕草に集中する。実際に相手の言っていることの答え合わせは出来ないとしても、コミュニケーションは可能だ。次回のESLカメラを持っていこうかな。終わり間近なこのクラスの写真を撮ることを、彼女たちが快く迎え入れてくれたお礼にできるかもしれない。

23日目。午前中に自転車で初散策。即疲れて一刻も早く帰りたくなる。太もも筋力なさすぎてやばい。近所のドラッグマートへ。初めて行ってみたらなんでもあって楽しくて長時間物色してしまった。レジの店員さんにHow are you? と声をかけられ、何て返答すべきかわからなくてへらへらしてしまう。家に帰ってから調べてみるとI'm good. How are you? とかI'm great! And you? とかで良いらしい。ひとつひとつ解消していくことと、単語だけじゃなくて日常の言い回しを積み重ねて覚えていこう。さぼってた日記をいっきにとりあえず覚えてることを書いてみるけどつまらなくなってしまうなぁ。日記には鮮度が必要だ。鮮度命。ちゃんと毎日書きたい。書きたいわけじゃないんだけど、後々見返したときに面白がりたいからやっぱりなるべく毎日書けると良い。

2018.04.13

16日目。朝6時にアラームをセットしてわりとすっきり目が覚めたものの、二度寝をしてしまってヨウタの気配で起きる。こちらへ来て初めての好天日。ヨウタはスクールへ行き姉は検診へ。午前中に靴を六足洗って二時間。ガレージ前や巨大な庭など、野外欲を満たすのにはまったく不足がない。靴洗いで心が満たされてしまったので昼ごはんはインスタントラーメンになった。午後から勉強。途中うたた寝を挟みつつ8月から受講し始めた基礎マスター民法全141コマをひとまず完遂。時間かかりすぎだけど復習を終えて早く刑法に取り組まねば。聞き終えたころにヨウタがスクールから帰宅、DVDを見るらしいのでその隙に近所を買い物がてら散歩する。家の近くに公園を見つけた。いい感じっぽかったから近々行ってみようとおもう。道路を歩くのはやはりちょっと怖いのでそこが良い運動場所にできるといい。薬局でマニキュアに気を取られすぎて帰るころには一時間も経ってしまっていた。みんなへのおみやげは何がいいだろう。うかうかしてるとすぐ6月になっちゃう気しかしないので今から細々と準備を始めなくては。夕方に家の周りを歩いてみると、わりと子どもの姿を見かけた。近所にけっこう子どもがいることに初めて気がつく。帰り道、3〜4歳くらいの女の子(きれいなブロンドヘアー!)が家の前で謎の動きをしていた。よく見てみると独自のダンスのように思えてじっと見ていたら目が合って、そして手を振ってくれた。ジッと見てくる見ず知らずのアジア人に手を振れるアメリカ人のフレンドリーシップ万歳だ。うれしい気持ちで歩いていると前から犬の散歩をしてる初老の男性の姿が。犬がわたしをめっちゃ見てる。めっっっっっちゃ見てる。ぱっと男性に目を向けると外人さんお得意のあのスマイル、最高。犬には手を振らず、じっと見つめ合ってすれ違った。帰宅して干してた靴を回収して、ご飯。夕方散歩の効果なのか久しぶりに空腹で夕飯をむかえた!

宮本から君へ、孤独のグルメ、あなたには帰る家がある、正義のセ を立て続けに見る。宮本から君へ、新名さんのみならず川上さんも出演。あの最高かわいい下がり眉の笑顔で池松くんの腕を叩くシーンがあってうらやましかった。煩悩。中谷美紀のショートが美しすぎて日本に帰ったらもっと短く切りたい、いや、ヨウタの散髪それなりに上手だった姉旦那に切ってもらうという手もあるか?など、煩悩。前期ドラマの豊かさを忘れられない。今期ドラマ、孤独のグルメ以外にもうひとつは見つけたい。

のんちゃんの結婚式の写真を見てたら思いのほか夜更かしをしてしまった。入学直後の新歓合宿のときから大好きだったのんちゃん。挙式や披露宴のときのかわいいのんちゃんの写真が見れて嬉しく思ってる自分に気がついてキモいなとおもった。どうか末長く幸せであれと本当に願っているファンの鏡のようなわたし。

2018.04.12

13日目、おととい。姉の通っているESL(無料英語教室)へ。ESLとはEnglish as a Second Languageの略らしい。教会が行っているボランティア活動のようなもので、受講も託児所も基本的には無料(別途教科書代はあるにしても一年間で$45、格安‼︎)で講師や託児施設の人々すべてボランティア。しかもみんないい人。外人さんフィルターかかってるにしても、それにしてもみんないい人。宗教の強みを感じざるをえない。姉の通っているクラスは日本人は姉ひとりで他にブラジル人4人、東南アジア系2人、韓国人2人、なんせ無料なので出席率もまちまちで人の入れ替わりもあるらしい。結論からいうと、日本に帰ったら英会話教室に行きたい気持ち100%になる。とにかく意思の疎通をするために英語を話さざるを得ない状況に困惑もありつつ、でもなんか楽しかった。英語の上達という共通の目的を持って集まっているので積極的に話すようになるというか、まじで話さざるを得ない。日本人の生徒が集まる英会話教室とか、日本語を話せる外人さん相手にはなかなか芽生えないやる気スイッチの存在を知る。

英語を話したり聞いたりするときって、つい脳内翻訳しちゃうけど、それって全然だめなのかもと初めて気づく。How are you? は「ご機嫌いかがですか」ではなくて「How are you?」でしかないのだ。訳とは、強いて日本語に置き換えならば、という程度のものでHow are you? と言ってる人は、あくまでもHow are you?と言っている。とても重要なことを知れたと思う。

14日目、きのう。ESLは火水の週二。ブラジル人チーム3人欠席で、きのうはいなかった中国人が1人。クラス後にその中国人の彼女の働く日本食レストランでみんなでお昼ご飯を食べる。SUSHI BOXというセットを注文したら、重箱のような容器に握り寿司6貫と天ぷら(さつまいも、マッシュルーム、ブロッコリー、ズッキーニ。すべて巨大。天ぷらというより小麦粉フライみたいなかんじ)、照焼チキン6切、そして茶碗2/3くらいの白米。アメリカ流日本食。サブ講師の女性は都度都度experienceと言っては玉砕してた。異文化交流というか、それぞれに別の母国語を持ちながら英語を共通語としてコミュニケーションをとる行為が尊いもののように感じている。英語を聞き続けるのはめちゃくちゃ疲れるので英語脳オフにすると何一つ会話の内容が入ってこない。オンオフの切替スイッチがなくなったときが I can speak English 状態なのでしょう。

15日目。昨晩遅くまで長女LINEしていたので朝ちょっと遅く起きる。近所の図書館のキッズプレイルーム的なところへ行く。アメリカの子育て環境の豊かさにため息ばかり。そしてアメリカのおもちゃは発想豊か。オハイオに来てから初めての暖かい日。初めて庭で遊ぶ。気持ちよすぎて寝っ転がった。明日も天気が良いっぽいので昼ごはんをつくって外で食べてみようかしらとか思っている。オハイオに来てから一週間が過ぎ、未だに勉強時間のつくり方を見つけられてないという焦りと自己嫌悪から早く脱却したい。

2018.04.09

アメリカにいる。13日目(オハイオ6日目)。毎日毎日あまりにも曖昧に過ぎていくので日記を書くことにする。

朝起きてごはんを食べてなんだかんだして昼になってご飯を食べてまたなんだかんだして夜になってご飯を食べて風呂入って寝る。いまのところ専業主婦には絶対なれないと確信。家以外の場所で過ごす時間がないと毎日に意味を感じられない。しかも田舎暮らし、まじ退屈。7年前に沖縄で暮らせないと思ったときの感覚がまざまざと蘇る。今朝はきのうコスコ(アメリカではコストコのTを発音しないらしい)で買った巨大クロワッサンを焼いて食べた。美味い。ヨウタを見送ってからまた毎朝食べてるパンに初めてバターを塗って食べた。毎日なにかしらの洗い物をしている。世の中の大半の人にとっては書き出すほどのことではない皿洗いも、わたしにとっては非日常。一人暮らしをしてたときには嫌で嫌で仕方がなかった皿洗いがここへ来てけっこう嫌いじゃない。ひとのために何かをすることには精神的な苦痛がほとんどないということに気がつく。3〜4日前から見始めためちゃイケ最終回をやっと見終わったのはきのうのこと。今の今まで今朝のことだと思い込んでたほどに毎日の区別がつかない。一日一日の区切りがない、細長い粘土のような日々。おーまいがー。オハイオに来てから初めて日中に家でひとりの時間を過ごす。勉強をしてみるが集中できなくてウロウロする。やっと集中し始めたときにはすでにヨウタがスクールから帰ってくる一時間前。気分ではなく計画で暮らすほうが納得できるような気がしている。

アメリカに来てからはほとんど三四郎のオールナイトを聞いている。ふとんに入って5分以内に寝ちゃうから全然聞き終わんない。相田がアンナチュラル(というか米津玄師のlemon)の話をしてて笑った。じぶんのいちばん印象的だったシーンが相田も印象的だったらしく、うれしい。アンナチュラルを愛してた日常がめちゃくちゃ遠い。明日は教会の無料英語教室へ行く。

2018.03.03

サイゼリヤにいる。勉強しようと思って来たのにサラダとアラビアータとピザで満足してしまった。火水木金ずっと勉強してなかったから脳みそがバカになった。バカにならないためにも二日以上は空けないようにしなきゃだめだな。ぽやんぽやんする。

 

大阪から帰ってきてからなんだかずっと悲しい。疲労&生理、あと満月も関係あるのかな、ないか? ひさしぶりに「こんなことをしている場合ではない病」発症。全体的にずーんと沈んでいる。ずーん。

かわいいかわいい千鳥のクイックジャパンを買って、今夜は千鳥を抱きしめて寝よう。

2018.02.25

目覚ましより2時間早く目が覚めて、玄関で靴を履いてるときにアラームが鳴った。日曜日はほとんど毎週サンデーモーニングを見る。関口宏関口宏としてぼそっと嘆く一言に安心する。人を殺しちゃだめだとか、権力を振りかざすなとか、そういうことを一人のおじさんが、言う。

午前中にドトール勉強、渋谷ハンズで買い出しをして、どきどきしながら念願の恵比寿の花屋へ母の誕生日花を買いに。とにかく至極ワンダフル。永遠に眺めていたい花ばかりだった。存在感のある一輪だけを買って帰る日常があったら素敵だ。

お花もごはんも音楽もスポーツも本も、みんな同じだと気づいた。恵比寿の花屋、東中野のラム辛子炒め、オザケン、羽生くん。どれも心がぱんぱんになる。入口はそれぞれにあって、心がたどり着くところは同じ。大発見。

移動中ECDを聴く。ラップの詳しいことはわからないし、詩がどうのこうのってわけじゃないんだけど何言ってるかめっちゃ聞こえるのがとても良い。

 おれ日本語 ときどき英語 なにラップ えヒップホップ だれECD まだやってたの なんでロンリーガールもうやんないの

独特のリズム感。音がめちゃいい。ライブで歌うECD見てみたかった。もう聴けなくなってから好きになることばっかりだなと改めて。ラッツ&スター、COMPLEX、チャゲアス大瀧詠一、、、特別枠のサディスティックミカバンド。全部ちゃんとライブで見れてたらどうなっちゃってたんだろう。とにかくヤマタツと峯田には間に合って良かった。間に合ってよかった!!!!!!

2018.02.23

花粉すぎて風邪?のような毎日。

12月くらいから寝ても寝ても寝てしまう、睡眠の意義を越えてるのではないかとすら思えてしまう睡眠時間。やたらと睡眠時間が長くなるのは鬱の前兆という記事を読んでから少しゾッとした。いまはもう全くそんなことはないけれど、12月1月の睡眠時間はもしかしたらそれだったかもしれない。やりたくないことはするもんじゃねえな!!確信、確認。

 

昨晩きゅうに思い立って「1999」予約。きょうになって行くか行かないか何度かぐらついたけど行った。よかった。さいしょのフラダンスでちょっと泣いた。高校生ですでにあの笑顔を持っていることは間違いなく武器になる。10代の若さゆえの笑顔というよりは女性ならではの嫋やかな、美しいまなざしのような笑顔。あの笑顔を携えて生きる人生はきっとたくましい。フラは慈愛のダンスなのだと知る。

この先なにが起こるかなんて誰にも何もわからないのは彼女たちも私たちも同じはずなのに、どうしてもつまらない上から目線のような言葉ばかり出てきてしまう。彼女たちの若さ不確かさ純粋さを、わたしは消費してはいないだろうか。搾取してはいないだろうか。そんな罪悪感のような気持ちが途中からざらざらと流れこんできた。彼女たちの美しさは決して私なんかに削られない。そんなことは明らかで、それなのに、青春ハラスメントのような妙な後ろめたさ。この正体は何だろう。

1999について思い出してみる。つい先日バイト先の同年代の人たちと飲んだときにも偶然その話になった。当時を席巻した話題も18年過ぎてしまえばただの同年代あるあるという間抜けたものに姿を変えるという結末を、18年前の私はまだ知らない。小学校低学年の目線でしか暮らしてなかったからだろうけど、当時の大人たちもわりと信じてたように記憶してるんだけど、実際どうなんだろう? 今もし同じような終末論があったとしたら、、と考え始めるまでもなく。911や311を通ってきた今に、あるかないか分からない未来の不幸はあまりにも陳腐。ましてや311を小学生で経験した彼女たちにはノストラダムスの威力なんて子供だましもいいところだ。

「1999年7の月」が怖くて怖くて眠れない日が何度もあったことを思い出した。(小学生の「眠れない」は小一時間であっただろうことにも今さら気がつく。)

ある日突然空から豪雨雷鳴とともに大魔王が降りてくる。それからの日常は空一面赤みがかった曇天で、我々地球人は一生奴隷として暮らしていくようなイメージだったと思う。さすがにポップすぎると考え直したり友だちや姉たちから情報を仕入れては人類滅亡像をこねくり回していた。夏休みで室蘭に住む祖父母の家に親戚大集合してたときに「7の月というのは今でいう8月だ」とか「大魔王の正体は富士山噴火」とか大人たちがノストラダムスの話題をしていたことが小学生のわたしにとって人類滅亡を決定づけたをこともはっきりと覚えている。

怖くて眠れない夜はいてもたってもいられず、寝室の神棚にお祈りをしていた。私がしたお祈りというのは、父が毎日神棚に向かってやってることを完コピした動作で、その神棚は父の信仰している宗教のものだった。あの時はまだ宗教という概念も無かったし、父が特定の宗教を信仰していることすら理解してなかった。でもなんか、眠れない夜に神さまにお祈りしてしまうときに限らず、日常生活に時々現れる(こっちが勝手に登場させてる)神さまって本来そういうものだよね?と今夜アゴラからの帰り道に思ったりもした。