2017.11.07

東京公演が終わった。六日間連続で10時間以上ずっと野外に居たのは生まれて初めてかもしれない。しかしそれに特別な違和感を抱くことはなく、むしろ歓びでしかなかった。ずっと外にいるとガシガシ季節を感じる。日中の気温が夜にも影響すること、風向きの変化、毎日かならず天気がちがくてそれが楽しいし、その日ごとの天気すら人生の思い出になってしまう。この季節にまさかの日焼けをした。2011年2月沖縄での日焼けを上回る不意打ちびっくり日焼け。11月4日の雨雲が去ったときから冬の風が吹きはじめた。季節の変わり目って、フェードインだと思い込んでたけど、確実にカットインだった。田舎暮らしへの憧れは沖縄に捨ててきたけど、こうして季節を感じる暮らしが当然にあることを望んでいるのかもしれない。田舎じゃなくたって叶う暮らしだ。福原さんの車で緊張してほとんど楽しめなかったことと真夜中の新宿を号泣しながら原付で走ったことが今回のハイライト。最年少はやはり最年少で、先輩たちはほんとうに先輩だった。目に見える優しいではなく、ひとりひとりに根付いてる人間性としての優しさをじんじん感じまくってシビれた。ほとんど初めましての方々とラフ&タフなかんじで出会えたのが嬉しかった。ほかの仕事したことないからわかんないけど、一現場いっしょになるだけでこんなに特別なきもちを持てるから演劇っていいねって毎日思った。実際は2〜3回しか会ってないけど心は松岡修造。一公演を共にしたという仲間意識のようなものが簡単に生まれてしまいすぎなのかな。なんせ場数が少ないので仕方ない。なんにせよ札幌公演が楽しみなのでまだまだ元気。

きのうは泥になった。文字通り何もせずに一日終わりそうだったところ、かろうじて浅野いにお「零落」を読む。感性が鈍っているのか、漫画では刺激されないほど満ち足りてしまってるのかわからないが、とくに感想を持てなかった。おもしろいとかつまらないとかではない。ひとつだけ「あ」って思ったのは、「今年でもう29で、あとがないんです」みたいなセリフがあって、わたしにはもうあとがないのか?と疑問に思った。目指しているものが変わらないまま29歳となると、そりゃ確かに「あとがない」というのが的確な表現なのかもしれない。でも、「あとがない」と嘆くことにそれほど意味がないことを29歳のわたしは知っているし、だけど「あとがない」と焦ることが何よりもの着火剤だということも知っている。そのどちらかにも属せないことはけっこう虚しい。なにかと比べることは簡単で卑劣で辛い。

きょうはずっと楽しみにしてた「表に出ろいっ」英語バージョンを観に芸劇へ。その前に3時間勉強をした。ネット受講記録をみると15日ぶりらしかった。やべー。ぱらぱらとテキストを眺めてもまったくピンとこず、勉強脳の電源入るまでに一時間かかった。脳みそやべー。そんで、考えてみたら家族以外の人と会わないのはほとんど一ヶ月ぶりで、それはとても不自然で、寂しい気持ちになった。寂しいなぁ誰かに会いたいなぁと思ってたら芸劇ロビーで駿谷さんにばったり会う。うわぁと嬉しくなってつい駆け寄ってしまった。終演後飲みに誘ってくれたが断ることすらせずに帰った。寂しい→飲みに行くってのはちがう。感情を時間の使い方の根拠にして良かったことなんてほとんどない。寂しさは紛らすためにあるのではない。寂しいと感じることを自覚すること。寂しさをそのままにしておいてもわたしは大丈夫なのだ。ネアカだから。そういえば、福原さんに「ネアカってそういう使い方するの?」って言われて、なんかごまかしちゃったのをしばらく気にしている。そういう小さい後悔をなるべく減らしていきたいと思う機会がたくさんあったな。福原さんと話すといつも自分がいかにへらへらテキトーにしゃべってるのかが分かってけっこう落ち込む。気をつけよう。明日から勉強がんばろう、お金がない。