2018.05.23

56日目。本日念願の映画館デビューのため午前中からガシガシ勉強をする所存で目覚める。ヨウタを見送った直後にRちゃんからショッピングのお誘いラインが。数分悩んだ末、せっかくなので行くことに。車で10分ほどのところにあるKhol's(ディスカウントストア的な)へ。アメリカは店の大小に関わらずほんとに品数が多く、田舎町だとしても経済大国の名に例外はない。昼前に帰宅するとAちゃんとそのドーターズSちゃんSちゃん姉妹がご来宅していた。小一時間ほどして解散、そばを大量に茹でて雑に海苔を散らして昼食はざるそば。その後の眠気に負けながら2コマをやっと消費して18時過ぎに映画館へ向かう。30分ほど歩いて到着。店員さんからの第一声が相変わらず聞き取れずへらへらしてしまう。飲食の注文の際に必ず聞かれるenythingelse?はマスターできた気がする。ほとんど人気の無い館内だけど清潔感あり。床の絨毯の感じとかリクライニングとはいえ革素材の座席って…と、もっと薄汚れたのを覚悟していたけど東京でもなかなか無いこの清潔感に肩透かしをくらう。上映前に紅の豚にまつわるクイズタイムのような謎の時間があった。

上映が始まり、おきまりの青バックにトトロのイラストに−スタジオジブリ作品−のクレジットが映し出された数秒間、あらためてジブリの偉大さを思い知らされた気分に。宮崎駿の手から生まれたこのトトロのイラストは世界のどこまで行っているのだろう。そしてオープニングの多言語ナレーション的字幕。各言語の違いをユーモアとデザインでアニメーションにしてしまう発想に脱帽する。多くは左から右へ流れ、アラビア文字のようなものだけが右から左へ。そして文字数が漏れてしまう二言語をリズムでもってクリエイトしてしまう器量。ひたすらに脱帽。スターウォーズもそうだったけど、完全に初めて観るものこそ繊細に感激できる自分はほんとうに好きだ。劇中の9割9分は英語が聞き取れなかったけど喜怒哀楽+αの情緒でわりとちゃんと観れた気はする。日本人作者というのも大きいだろう。そしてなによりも女の子の美しさの描き方に感動した。フィオが美しくなっていく(美しく思えてくる)様はわたしの主観のようで紛れもなくマルコの目線である。登場の時点ではただの女の子として見ていた彼女がある瞬間から唯一の輝きを放つ。これは気のせいではなく確実に作画が操作されている。物体の動きとカメラワークを切り離している飛行シーンも素晴らしい。アニメーション!!!

当然だけど客席はわたし以外全員外国人。作品が国を超えて彼らの日常に入り込んでコミュニケイトしている状況にふつうに感激してしまった。芸術作品の意義のようなものを身をもって体感。ワンダホーという言葉がいまのわたしの限界だ。映画館を出るとこれまたワンダホーな日没。空の様子に心潤うことの豊かさ。生まれ初めて外国の映画館で観る映画が、生まれて初めて観る「紅の豚」の全編英語吹替というこの不思議体験は、この先の人生で愛でるべきものの一つになることを確信している。

帰りにCVSに寄って歯磨き粉とブリトーハイネケン(500ml!)とプリングルスを購入。「サーティーントウェンティセブン」がなぜか急にまったく分からなくなって$32.7?が頭から離れずに20ドル札一枚と10ドル札を二枚を出してあたふたしてしまう。全編英語の93分を乗り越えたはずが、なかなかそうもいかない。最低限の読み書きは出来るけどヒアリングと発話が出来ない日本人…これも深刻な国難!総じて今日はベリグッデイの評価を与えるべき一日でしたとさ。

2018.05.16

49日目。何日ぶり?

5月1週目に赤ん坊が生まれ、その前後を書き溜めたものを保存してる。が、掘り起こす気になれない。しばらく日記欲が皆無になった。無理してでも書くのが未来の自分のためと分かっちゃいるが気が向かねぇ。とことん気が向かなかったので、その気の向かなさを尊重していた。見方によれば、日記を書かなくても大丈夫な精神状態だったといえるのかもしれない。

3日ほど前に帰国日を確定させた。今朝なんとなく帰国日を知らせたくなってマツダと水谷さんにライン。審判的存在のふたり。なにげない行為こそ真意だなぁと改めて確認。帰ってから会いたい人たちであり、ぼんやりしたアメリカ生活をしている自分に喝を入れてくれる見事な存在。マツダには外に出かけなければという気持ちを思い出させてもらい、水谷さんには映画館体験のススメをいただいて、まんまと意欲が湧く。つくづく一人じゃ意欲を保てない自分を思い知る。催眠術にかかってるときは催眠術にかかってないと錯覚するのとおなじで、良くない(理想としてない)状態にあるときに良くない状態であることに気がつけない。これはおそらく一生直らないので、周囲の審判たちに自らコンタクトを取り続けることで克服するしかないのだろう。

近所のRegalHudsonCinemasのサイトを見るとなんとレディプレイヤー1がやっていた!水谷さんの思し召しスゲー。全編英語でも大丈夫なように色々送ってくれて、水谷さんは時々聖母のようだ。きょうは前にKちゃんと行ったカフェでレモネードに挑戦したい気持ちがやっと立体的になったので夕方までに勉強を済ませて、カフェへ行く(片道約45分!)つもりだったところ、映画館偵察という新たな項目&Rちゃん来宅のダブルハプニング(良い意味)で予定変更。姉とRちゃん談義に小一時間ほど参加した後に映画館へ偵察に。徒歩で25分程度、意外とキレイだったし意外と閑散としていた。映画館を遠くに見ながらテクテク歩いていたら、その景色が蘇我アリオの映画館へ行く道中を思い出させた。蘇我愛?

それはそうと、直太朗が結婚した。ヤフーニュースで見てすぐお相手の方を検索しているときの自分の顔面は誰にも見られたくないものだと思った。このきもちわるい表現しか浮かばないけれど、わたしは直太朗を卒業している。この言葉がとてもしっくりくる。直太朗に夢中だった10代のあの時期なしに今の自分はマジで無い。直太朗自身には1ミリも影響していないのにこの感じ。我ながらめちゃ気持ち悪いが、人生のなかで最も重要な人物のうちの一人であることは間違いない。なんてことを直太朗の結婚という芸能ニュースを機に再認識した。

どんな意味においても、アメリカにいようと日本にいようとすべて同じなんだと毎日思う。

2018.05.01

34日目。水谷さんからアメリカ暮らしはどう?とLINE。あらためて文章にする良い機会と、能動的にこの暮らしを楽しまなければと思い出させてもらえた。ただただちゃんと興味を持てる、という水谷さんとまっちゃんの共通点を感じて自分のなかで二人がまた重なる。ツイッターで「平成最後の5月」という文言を見かけて、天皇退位ってもうちょっと先ではなかったっけ?と思ったけれど、調べてみたら皇太子の天皇即位時期は2019年5月1日なのだと今更知る。人並みに時事問題を知ってるつもりでいたのにまさかの落とし穴。渡米以来初、暖かい快晴の朝!ヨーグルトに黄桃をインしたものを食べて、念願の朝散歩へ。鳥のさえずりやスクールバスで朝を感じながらバーロウファームパークへ。きのうとは逆回りの反時計回りで約二周した後、まわりの住宅街を抜けて再び戻りおまけの一周。散歩してる犬の足跡さえ愛しく、思わずiPhoneで撮影。毎回吠えられまくる犬(二匹)の家主のおじさん、公園ですれちがった自転車のおじいさん、公園を出たところにい車のおじさん、今朝会った人みんな手をパッと上げて挨拶する派だったのか、男性の挨拶としてそれが一般的なのか。わたしがこうして一人一人を愛しく思い返している今、きっとどのおじさんも今朝わたしと挨拶を交わしたことは忘れてしまっているんだろう。そしてわたしもいつか忘れる。なかったことにならないようにここに記す。山下達郎との朝散歩にて「整う」に似た感覚がやってくる。シャッフルで流れてきたドーナツ・ソングを一度は飛ばしたものの、シャッフルを信じてみようと思い直して聴いてみる。「ドーナツを君とだけ食べたい」という論法で愛を歌うヤマタツ天才か。アウトロで連呼される 君とだけドーナツ ♪ 食べたいよドーナツ♪ って何なんだよその発想!と感心しきっていたら最後にはいよいよドドッドド ドドーナツ♪ と歌いやがって思わず笑う。ヤマタツのチャームポイントかつクレバーポイント。上下ヒートテックのせいで小汗をかいて帰宅。昼に姉が病院へ行くため初めてヨウタと2人きりの小一時間。車が発車して初めて置いて行かれたことに気づいたのか、泣きわめいて追いかけようと走るヨウタが転び、ヨウタの頭を踏んでしまいそうになるのをとっさに回避してわたしも転び。パニックでしばらく号泣大暴れ支離滅裂だったけれど安易なポッキー作戦で落ち着きを取り戻す。宇都宮に住んでた頃、留守番するつもりだったのに母が出かけた瞬間きゅうに寂しくなって泣きながら車を追いかけた記憶が蘇る。子供と接するとき、自分の記憶や感覚も蘇るというか、まだ自分の中にもそれらが残っていることをよく感じる。

午後、どうしようもなく眠くて二時間も寝てしまった。目が覚めてからもしばらく動けなかったけれど無理やり起きて階段を下ってお湯を沸かしてコーヒー飲んだら嘘のようにシャキッとした。眠いときは体を起こすようにすればいいのかと単純な発見。明日も天気良く朝から暑そうなので朝散歩で小袋成彬のアルバムを聴いてみよう。

2018.04.30

33日目。朝から天気が良いのは分かっていたが気温は低め。朝散歩の願望を叶えることなく午前中から勉強を始める。が、集中力は細切れ。好きなモデルの女の子が大学の同級生と結婚していたことをインスタで知り(実際は推測だけどほぼ確実と思われる)、思わずハナにLINE。話題は二転三転して、ハナのフェミニズム論に膝を打つ。しかし最近は平和ボケというか、あまりにも狭い暮らしのなかにいるので活発に思考が働かないことを実感。異国の、しかも田舎の暮らしをしている今の自分と日本の社会問題の共通点のなさが思考の機会を薄めていく。そういった不安も含めてわたしは東京に住んでいたいし、確実に帰りたい気持ちを認識している。ブスが美人を守る論。

ハナとのLINEに夢中になってしまって、ぼよんぼよんの素ラーメンと素餃子を食べてしまった。同時に複数のことを本当に出来ない。15時過ぎから散歩へ。お気に入りのバーロウファームパークを経由してコロニーパークへ初めて行ってみる。どちらも公園というよりは遊具のある芝生広場というかんじで、歩くだけで気持ちが晴れる良好スポット。山下達郎を聴きつつ、車や犬がこわいので周りを気にしつつひたすら歩いた。目的地が決まっていない徒歩がほんとうに好きだ。永遠に歩ける気ばかりする。コロニーパークの入口からさびれた橋のようなものが見えたのでそっちへ行ってみると、線路の上に架かる橋だった。車は通れないようになっている。人ひとりいなくて、ここで誰かにさらわれたり殺されたりしても完全になかったことになりそうだななんてことばかり考えていたら、向こうから女の子が歩いてきた。こちらに来て初めてすれ違いざまの挨拶をされなかった。それほど相手を警戒すべき場所なのか、ただ単にうろうろしてるアジア人が怪しかったのか。そんなことを考えていたらまた反対側から犬を連れたマダムが来て、ささやかなハーイを頂戴した。公園を通り抜けて家までの道を遠回りで歩く。原っぱのなかに水飲み場を発見し、写真を撮りまくる。近頃はデジタルで撮りまくれるのが普通になってるけど、となるとシャッターの価値って?ということを時々考える。とにかくより良い瞬間をとらえたいという気持ちには連写機能は最高だけれど、一瞬を愛でる気持ちは人生を愛することに繋がっているように思う。一回きりのシャッターを、とらえようとするその対象にぎゅーっと集中してパッと切り取る。デジカメなら無造作に連写してそこからセレクトすりゃいいだけのことだが、現実世界はそうもいかない。ひとつのものしか選べないときの選択能力を、選んだあとにそれを愛する努力をする能力を、連写機能によって低下させてしまっているような気がしている。きっと人生はそんなに華やかでも特別でもなくて、ただただ時間を過ごすだけ(なるべく豊かに)なのかもしれない、と広ーーい庭に黙々と芝刈り機をかけているおばあさんを見て思う。

公園の水飲み場で顔を洗っていたら 空が青く見えたんだ という直太朗の大好きな歌を思い出したのでiPodで聴いてみる。アメリカで直太朗を聴く日がくるだなんて思いもよらなかった。案の定うぉーーーーーーってなりながらも、いまの状況とは案外マッチしない内容だったことを思い出してスッとなる。おなじみのCVSに寄って80ドルの散財。なぜかカードが使えなくて現金で支払い、おつりをポケットに突っ込んだ。興味本位で買った炭酸ジュースは洗剤の味がした。向かいの車がこちらにゆっくり寄って来て、車内のおばちゃんが何か言っている。こんなところで道を聞かれるはずもないだろうし、なんだろうと近づいてみるとdropとmoneyという単語とともに後方を指さしていて、振り返ると紙幣がひらひらと風に揺れていた。オー!と思わず声が出て、急いで拾った手で紙幣を握りしめてサンキューソーマッチを伝えるとおばちゃんはニカッと笑って発車した。これがほんとのサンキューソーマッチ。

2018.04.25(28日目)、朝 あらため04.30朝

いまは04.30の朝。下書きをしたまま時間が経ってしまった。これ以上記憶を頼りに書く気になれないのでこのまま投下。ただの記録。

24日目。オハイオに来た当初から企画されていた駐在日本人たこやき&串カツパーティーの日。もともとは先週の予定だったものが、会場となるAちゃん家のお子さん(Sちゃん)の体調不良によって一週先延ばしになっていた。たこやきも串カツも大好物ではないものの、そういった日本食の地味ロスを意識してしまってからは猛烈に楽しみになっていた。午前中に買い出しをして昼過ぎにAちゃん宅へ,という予定だった。徒歩30秒ほど先の家の庭先が何やらカラフルになってるなと思っていたところ、ガレージセールが開かれているとのこと。興味本位で覗きに行くと、姉夫婦はヨウタそっちのけで品物を漁りはじめた。アメリカのガレージセール文化は日本のフリマともまた違くて、日本のような「ご近所づきあい」のなさゆえのもののように思えた。衣類やインテリアなど生活雑貨のほかに子どもグッズが豊富だった。日本だったら親しい近所の家族に譲るようなものが、アメリカではご近所づきあいもないし一軒一軒の家というか敷地がめちゃデカイので、不要になったものの保管が生活スペースに影響することもない。そのストックされまくった不要なものを、引越しの際にガレージセールで放出するといった感じ。別にお金目当てではない。もしかしたらわたしのフリマ文化のなさゆえの誤論かもしれないけど。姉は30分以上物色して、絵本、車、屋外用イスなどひたすらヨウタグッズをゲットしていた。とにかくアメリカの子どものおもちゃは日本に比べて豪華、贅沢。義兄はフレンズ全シリーズをゲットしていた。ようやく家を出発してコスコへ。たくさん試食をしながら(試食にがっつくのは全く恥ずかしくないことらしい。ほんとか?)店内を物色、ずっと気になっていたマカロニチーズが試食で出てて初めて食べる。どうせぎとぎとねちょねちょアメリカ〜〜〜みたいな味だろうとナメてたけど想定外に美味しいことに驚く。Aちゃん宅へ到着し、串揚げ仕込み(串にパン粉をつける)作業をひたすら二時間。夕方から各家族が集まり始めて22時頃まで宴。とはいえ姉夫婦宅に居候中の妹としてのポジショニングが見つけられず、見つける気もなく適当にやり過ごす。なにもかも異世界のコミュニティに馴染めるわけもないので落胆もしない。

25日目。日曜日。昨晩の疲れか、多少だるい。昼にヨウタとシャボン玉をする。下手すぎるくせにやりたがって液こぼしまくるし浴びせてくるしで、二歳児の知恵のなさにふつうに腹を立ててしまった。

26日目。姉が昼から出かけるとのこと、とくにすることもないので一日中家で勉強をしようと朝だらだらしていたらRちゃんが15時過ぎにお茶しようと連絡をくれた。姉抜きでママ友とお茶(!)。いつものスタバ近くのめちゃシャレたカフェに連れて行ってもらう。暖かいのでテラスにて薄めのアイスコーヒー。最高。

27日目。ひさしぶりのESL

28日目。ESLにて姉のベビーシャワー。

2018.04.27

30日目(おおぉ〜)。7時過ぎに目が覚めてSNSチェック。植本一子さんのトーチ連載が以前に比べて長文で、いつも通り正直な文章かつ風通しの良い、穏やかな空気さえ感じられた。文章が上手いとはどういうことだろうか。当然テクニック的な要素はあるものの、文章の上手さとは。

きょうはママ友が家に集まるとのこと。きのうまで雨予報だったのに、午前中あまりにも天気が良いのでぎりぎりお昼前に近所の公園〜住宅街を散歩してみる。天気が良い日に目的なく道を歩くのは気分が良い。ラブユーオンリーを冷やかしつつ山下達郎を聴きながら歩く。よくよく考えてみたら、イヤホンで音楽を聴くのはアメリカに来てから初めてだった。旅先で音楽を聴くのは邪道だという思いがあるからだが、すでに約一ヶ月を過ごした今、オハイオは旅先ではなく期間限定の日常だ。音楽のリズムに足の速度が自然と揃う。両手をぶらぶらさせながら歌詞を口ずさむ。これまで特に意識をしてこなかったけれど、爆音原付ドライブは必要不可欠なストレス発散法というほどでもないが、たしかにその有無が日々の心の持ち様に大きく影響していた。残りの二ヶ月間の暮らしのなかでは日常として、ちゃんと音楽を聴く時間を持って良いことに気がついた。今は旅先なんかじゃない。小一時間の散歩で我ながら呆れちゃうほど気分が晴れて、明日から毎朝散歩をしようだなんて軽々しく決意をする。天気が良い日は何でも出来る気がしてしまう根アカな自分に毎度毎度救われている。夕方、Kちゃんのお誘いで買い物ドライブへ同行。行ってみたかったコーヒーショップでお茶をする。好天日のアメリカはとことん洒落て見える。レモネード片手にビスケットを頬張るをティーンエイジャーに釘付けになり、Kちゃんもわたしも次はレモネードを注文することを誓った。姉抜きでママ友とサシお茶、今週2度目。よく知らん人間でも気軽にお茶に誘えるお姉さんにわたしもなりたい。人との出会いのワンダフルさ(ここ最近忘れかけていた)を改めて噛みしめる。姉の妹としてどんな風に振る舞うべきかを考えると何をするにも億劫になりかけていたけれど、そんなのどうでもいいっす、と心では思うもののそれがなかなか難しい。姉のヨウタのお迎えと入れ違いに帰ってきたので家の前で10分ほど待ちぼうけ。玄関前でぼんやり座っていたら犬の散歩をしてるカップルが通りかかって、わたしに気がついた旦那さんがひらひら手を振ってくれた。そういえば昼にすれ違った老夫婦もすれ違いざまにHi〜と声をかけてくれてウフフとなった。どちらもわたしが好奇の眼差しで遠慮なくガン見してるせいもあるかもだけど、日本ではほとんど経験のない喜びだ。日本に帰ったらああしようこうしようと今は色々鮮明に思うことも、きっと帰国した途端に濁ったりぼやけたりしてしまうだろう。常に面倒なほうを選び続けろみたいな自己啓発的名言、ほんとうにその通りだと思う。わたしはつくづく根アカだ。天気の良い朝はとにかく有無を言わせず午前中に散歩をする。そんで、勉強をもうちょっと頑張れ。

2018.04.26

29日目。日記は毎日書けたほうがいいと記してから早一週間。毎日なんて書けやしない。気分と時間帯の問題か。きのうの朝けっこう早起きしたから数日分の日記書いちゃおとカタカタやってたら30分後にヨウタの朝襲来で強制終了。毎晩寝る前に書くのを日課にしたいけれど子どものいる生活の時間配分の難しさに甘えている。

きょうは月曜日ぶりの晴れ。今週また停滞しちゃっている勉強を午後からライブラリーでしようと意気込んでいたものの、眠気がすごくてほとんど何もできなかった。構成要件的なんちゃら、作為義務、実行行為、まだイメージしきれてない用語で怒涛に迫られまくって終盤はもう右から左へ状態。はあ。18時頃にライブラリーを出て、近くの高級スーパーを覗き見し、グーグルマップで見つけたコールドプレスジュースの店を流し見て、自分の意気地のなさにがっかりする。注文してハイおしまい、みたいなお店ならそんなに緊張せずに行けるけど、あーだこーだとリクエストしなきゃいけないっぽいお店には全く足が向かない。むりやり英語に触れ合う機会をつくりたいのに逃げたいきもちに完全に押される。あーあーあー。ライブラリーから徒歩で帰るの二度目。きょうは天気も良く暖かかったせいか、前回とは全く違う帰り道だった。道中お決まりのスタバでチャイと甘いものを買う。ショーケースに入ってるoldfashionなんちゃらを注文したいのになかなか伝わらなくて、店員さんも何やら説明してくれているものの、わたしは味を知りたいのではなくてコレが欲しいのに多分また味の説明をしてくれている。プレートに書いてある名前を何度か言ってみるものの、わたしの発音が悪いのか、店員さんが商品名まで覚えてないのか、わからないけど全然伝わらなくて最後は熱烈な指差しで決着をつけた。軽やかにセンキューなんて言いながらお店のドアを開けて外に出た瞬間に毎回あ”〜〜っと声が出る。元気に英語がしゃべれるようになりたい。上手くなくていいから、伝わる英語を。家の近くのドラッグマートに寄る。お土産用のお菓子を吟味せねばという思いで様々なスナック菓子を購入。レジのオバちゃんがその中のひとつを指差して「これめちゃ美味しいわよ!ナイスチョイス!」的なことを言ってくれた。センキュ〜とへらへら笑って済ませてしまったけど、あそこでI come from Japanから始めてもっと話せることあったなと一人で英語をつぶやきながら帰った。ヨウタとスポンジボブを見てたら知らないキャラがボッコボコにやられてるシーンがあって、痛そうなのめちゃくちゃ苦手だけどアニメなら平気だわと気がついた。当たり前っちゃ当たり前なのだけど。実写の痛いシーンが平気な人のことまじで信じられないと思ってたけど、多分わたしがアニメを見てるこの感覚なのかなと初めて気がついた。ヨウタは眠いせいか号泣大駄々こねていて笑ってしまった。いま一緒に過ごしてる時間の記憶はきっとヨウタには残らないからわたしが忘れてしまわないように、と思うけれどきっとわたしも忘れてしまう。

いまアメリカにいる間にしか出来ないことをしたいと思いながら色々追いつかない。総じて意気地の無さのせいだ。アメリカに来てもうすぐ一ヶ月。あと二ヶ月どうやって過ごすべきかを考えたい。その場その場の快適さよりも帰ってから後悔しないことを選択できるようにしないとなぁと心底思う。焼鳥屋に行きたい。焼鳥食べながら何でもない話をしながら中ジョッキでビールを飲みたい。